障害者や社会の視点から考える、雇用のあり方や新たなはたらき方の問題とあるべき姿

法定雇用率の引き上げや新型コロナウイルスによる影響により、企業ではテレワークの導入や集合配置型雇用の促進、雇用代行事業の活用など、障害者雇用の在り方や施策が議論されています。しかし、はたらく障害者の視点から考えると、様々な問題も見え隠れしています。
そこで今回は、はたらく障害者の生きがいや成長という観点や、「共生社会の実現」という障害者雇用施策の理念から、様々な施策の問題点と雇用のあるべき姿、企業の果たす役割について考察します。

植草学園大学副学長、元毎日新聞論説委員
野澤 和弘

1983年毎日新聞入社。社会部でいじめ、ひきこもり、児童虐待などを担当。夕刊編集部長、論説委員を経て2020年4月より現職。障害者差別解消法の原案作成に携わったほか、社会保障審議会障害者部会委員、上智大学非常勤講師、植草学園大学発達支援教育学科教授などを歴任。主な著書に「障害者のリアル×東大生のリアル」「条例のある街」。

1. 企業による雇用拡大施策やはたらき方・雇用の変化をめぐる問題点

障害者が「はたらいて自立する」社会

私が新聞社の社会部記者だったころ、1995~97年にかけて障害者の虐待事件が相次いで発覚しました。中でも「サン・グループ事件」や、TVドラマのモデルにもなった「水戸事件」は、雇用の場における深刻な虐待として注目されました。私たちはそれを連載企画などで大々的に報じたのですが(※詳細は『福祉を食う―虐待される障害者たち』(毎日新聞社刊))、これがのちの障害者虐待防止法(2012年施行)につながる最初の調査報道だったと思っています。

さかのぼれば、日本における障害者虐待は雇用の場が源流でした。戦後貧しいころに慈善家と呼ばれる人たちが、障害者を引き取り寝泊まりさせ、親代わりとなって仕事を与えたのが始まりです。それだけ閉鎖された、特殊な労働環境でもあったと言えます。

2006年に障害者自立支援法が施行され、特に知的障害者・精神障害者にかかわる福祉はガラッと変わりました。大きく打ち出されたのが、施設から地域生活への移行を含めた「地域福祉の推進」と「就労による自立」です。就労継続支援事業A型・B型といった、地域ではたらくための福祉サービスをいくつも盛り込みました。この立法作業に中心となって取り組んだ人が、当時、社会・援護局障害保健福祉部企画課長だった村木厚子さんです。「はたらいて自立すること」を柱とすることができたのは、村木さんだからこそだと思います。

私には、重度の自閉症である息子がいます。息子が特別支援学校にいたころは、進路指導の先生が就職先の開拓に苦労していました。地元企業20社に電話をかけても手応えがあるのは1社ぐらい。企業の間でも当時は「知的障害者は、雇用の場ではなく福祉の中で対応すべき」というのが一般常識でした。特に重度の息子は、就労なんて想像もできませんでした。同じような障害者の親たちからも「はたらかせるなんてかわいそう。企業はそんなに甘くない」という声が上がっていたのを覚えています。当時の福祉畑の良識的な人たちの偽らざる実感だったのだと思います。
その後、法定雇用率を軸にハローワークが厳しく企業を指導するようになり、多くの企業も腰を上げて本格的に取組み始めました。一方で村木さんたちは企業就労に光を当てようと、さまざまなプロジェクトも企画しました。リーディングケースとなる企業も増えていき、障害者雇用の拡大を推進してきました。

特例子会社のあり方を考える

特に大企業にとって、一定規模の障害者雇用を進めるために活用されたのが特例子会社です。私は、この特例子会社をはじめとする障害者雇用の現場運営を左右するのは、現場のトップに立つ社長・担当者の存在にかかっていると思っています。

少し極端な例かもしれませんが、私と息子の体験談を紹介しておきます。親として記者として障害者雇用の現場にかかわってきた私は、ある大手企業の特例子会社の設立を手伝う機会がありました。きっかけは、障害者の地域生活を推進していく目的で毎年開催されている「アメニティフォーラム」。厚労省の官僚や国会議員、自治体・各団体の関係者ら千数百人が全国から集まり、さまざまな議論を重ねる場です。そこに来ていた企業担当者に「雇用率が未達成で、ハローワークから指摘されている」と相談され、千葉県内にサテライトオフィスをつくることになりました。

事業内容は、職場に置く観葉植物の管理です。ちょうど知り合いの元大学の先生が房総半島で観葉植物の栽培などを手がけていたので、技術を学ばせてもらいました。仕入れた観葉植物を障害者たちが育てて寄せ植えし、都心にある本社などを対象に配置・管理することになりました。
このサテライトオフィスで息子もはたらくことになりました。当時は「重度の障害者のはたらく場」としてNHKでも紹介されましたが、彼は8年で辞めました。理由は、一言でいうなら現場の担当者が変わったからです。
立ち上げからかかわった最初の担当者は、本社に対しても堂々と「障害者のことを考えろ」と言っていました。本社に障害者メンバーを連れていき「この人たちが同じグループ会社ではたらいている」と互いに意識できるような機会も積極的につくっていました。しかし数年後には異動になり、社外から採用された人が着任しました。この人は臨床心理士などの資格はあるものの、本社や企業運営については知らず、今思えば障害者のことも分かっていない人だったと思います。
その人はどうしたかというと、障害者を指導することに力を入れ始めました。全員が身だしなみを整え明るい挨拶をして、幹部社員から「社内が明るくなるね」みたいなことを言われる職場にしようとしたのです。もともと行動障害のある息子は「一人だけ行儀が悪い」などと叱られ、気持ちが不安定になり、さらに問題行動が増えました。見かねた私が伝えても「ここは福祉ではなく就労の場ですから」と片付けられました。私は「ああ、障害者1人ひとりのことを見ていない」と思わざるをえませんでした。息子は退職後に就労支援事業所に移り、すっと落ち着きを取り戻しました。

2.「共生社会」の実現のための、障害者の経済参加、活躍のあり方

障害者総合支援法の理念

企業のみなさんには、日本の障害者雇用に一体どういう意義があるのか、今一度確認していただきたいと思っています。不当にディスアドバンテージを受けてきた障害者1人ひとりが、社会に参加し、貢献して認められ、自分らしく自立していくための道筋の一つとして障害者雇用は進められてきたのです。

障害者自立支援法は2012年に障害者総合支援法へと名称をかえましたが、このとき新たに掲げられた理念があります。それは、障害者の日常生活・社会生活への支援が、共生社会を実現するため、社会参加の機会の確保と地域社会における共生、社会的障壁の除去の助けになるということ。この「共生社会の実現」に向けた就労の場において、企業に期待をかけて助成金なども出してきたわけですが、表面的な条件はクリアしながら、その実態は理念と全く違う、ではいけません。

というのも日本ではこれまで、企業の障害者雇用を評価するときに雇用率や賃金の高さ、定着率に偏りがちでした。それが経済的にインセンティブを働かせる制度だったともいえます。分かりやすい数字を重視してきたことで、障害者自身の「はたらきがい」や「労働の中身」といったものへの評価が、残念ながら二の次になっていたと思います。

雇用代行事業の弊害 問われる企業の倫理観

近年は、企業の雇用率を満たすために、障害者雇用を代行する事業者も出てきています。結果として、それがはたらく障害者のためになっているのであればそれでもいいでしょう。ただ実際には、とてもそうは思えないケースもあるのが実情です。

数年前、雇用代行事業者の農場を何人かで見に行ったことがあります。山奥の、簡易トイレが一つ置いてある建設現場の飯場みたいなところにビニールハウスが何棟も建っていて、各棟には企業名を書いた看板がかかっている。有名な大企業の名もいくつか見かけました。そこにいた障害者たちは、ずっと座ってしゃべっていました。そばの椅子に座っていた作業服のおじさんたちは監視役のようでした。私は、「毎日駅前からバスに乗って通い、ここで一日過ごすのか、何年にもわたって」と暗い気持ちになりました。

障害者を集めて適当に農作業をしてもらい、企業の雇用率を満たす。企業側は、いわばお金で雇用を買っているだけです。誰が自分の会社の社員なのかも知りません。一方で障害者の家族としては、大企業の社員として給料をもらえるわけですから「福祉施設にいるよりよっぽどいい」となる。その事業者には批判の声も寄せられたようですから、少しは改善しているはずと願うしかありません。
厚労省も何度か視察に行ったそうですが、障害者雇用はもともと性善説に基づいており、虐待などは別として、法に抵触しない程度の事例は問題として表面化してこなかったところがあります。
私は厚労省の担当者に「批判すべきは、代行業者を使う企業のほうです」と言いました。いま問われるべきは、企業側の倫理観なのです。形だけの、お金を出して雇用率を買うような雇用を、企業はCSR(社会的責任)だと言えるわけがありません。

3. 企業ができること、果たすべきこと

能力を発揮できる仕事は企業の経営力に繋がる

私はいまだに、日本には障害者をコストとしか考えられないような企業文化や価値観が残っていると感じることがあります。もっと踏み込んで言うならば、いま企業で広がっている障害者雇用の業務内容も、本当に彼ら一人ひとりの能力を発揮できる仕事なのかと思うものがあります。働いている当事者が、きちんとはたらきがいをもって従事していることを保障すること、それが企業の求めるニーズやメリットにもなっていることがセットになっていないとしっくりきません。

本来は、障害の有無にかかわらず、本人の能力をいかせる仕事を任せ、キャリアを伸ばしていくことこそが企業の経営力につながるはずです。それを分かっている企業のなかには、障害者1人ひとりの能力を引き出しながら戦力化しようと工夫するところも増えてきました。この動きをもっと広げて一般化していくにはどうしたらいいか。本来の障害者雇用のあり方を考えるなら、企業経営のあり方そのものを変えていかなければならないところに来ていると思います。

障害者はコストではなく戦力

私は少し前に米国のシアトルで、マイクロソフトの担当者に障害者雇用について話を聞く機会がありました。ただ、どれだけ話しても、かみ合いませんでした。障害者雇用の概念が違うのです。彼らは「障害者雇用率は7%だ」と説明するのですが、よく聞いてみたら手帳制度があるわけでもなく、あくまで自己申告制です。少し前に問題となった国の水増し雇用みたいなものかと思いますよね。
一方では興味深い発見もありました。社員食堂に行ってみたら、まるで万国博覧会のように多国籍の社員らであふれていたのです。そういう職場にいると、発達障害とか知的障害とか、そういう区分自体がナンセンスかもしれないとさえ感じました。
マイクロソフトにとっては、とにかく部分的にもこの会社のニーズを満たしてくれる仕事をしてくれたら十分だという姿勢でした。その代わり、本人の能力に応じて賃金も決まってきます。評価判断は、1人ひとりの仕事の能力。そこには障害者だとか何だとかいう定義は必要なくなってくるのかもしれません。
こうした企業において障害者は、決してコストではなく、必要な戦力であり投資です。同じ考え方を、これまでの日本の企業文化に根づかせることはとても無理だったでしょう。決まった勤務時間から無駄な会議など、慣行も含めてルールだらけの学校のような場所で、それを守れないような人は排除されてしまう企業文化ですから。
でもこれからは違ってくるかもしれません。むしろこういう部分が一番変わるかもしれないと思っています。ICTの普及やコロナ禍もきっかけに、企業での一般社員のはたらき方はすでに多様化しつつあります。自分のやりたい仕事・できる仕事を掛け持ちしたり、副業で新しい才能をいかしたりする人、それを活用する企業もどんどん増えています。

新しいはたらき方とともに

同一労働同一賃金やリモート勤務、兼業を認めるなど、一般就労をめぐる慣行や企業文化が変わりつつある今だからこそ、障害者雇用も変えていけるチャンスです。多様で柔軟な雇用方法を認め、既存のルールを見直して本当の意味での生産性を考える。なんでもかんでも今ある枠に障害者をあてはめていくような考え方も変えていくべきです。

人混みが苦手だったり移動そのものに苦労したりする人が、わざわざ満員電車を乗り継いでオフィスに通う必要もない。自分が一番はたらきやすい環境で、はたらきやすい時間でもいい。重い自閉症であっても、職業訓練などで「これだけ」と教えられたことをピシッとやり続けるケースだってたくさんあります。そういう視点に立つと、障害者がコストではなく、1人ひとり人材投資として見られるようになってくる。
こうした就労を実現するには、人材として送り出す側の就労移行支援事業所や特別支援学校の努力も欠かせません。1人ひとりの障害者の能力を見抜き、企業のことも研究して、「この企業のこの仕事には、この人のこの能力がフィットする」とマッチングさせていくのです。たとえば芸術的な美的センスを見出し活用できるなら、企業にとっては大きな戦力になる。目利きのできるキュレーターのような存在が、障害者支援事業所などに必要だろうと思います。本当の意味での障害者の能力開発です。

障害者雇用に新しい指標を

日本社会は、雇用率だけを尺度に評価する時代はそろそろ終わりにしないといけません。そのためにも私は、障害者がやりがいを持って社会参加し、企業に貢献しているという実感を持てるような職場について、何かの形で指標をつくり、社会に公開すべきだとも考えています。そして企業側は、少なくとも消費者やステークホルダーに対し、自分たちが取組んでいる障害者雇用の中身をきれいに開示し、評価してもらうのです。「自分たちはこんなことやっています。障害者の満足度ややりがいをこんなふうに評価しているのですがどうでしょうか」と、企業同士でどんどん競い合うことが理想です。特例子会社も、表に出ることで企業のブランドイメージ向上に貢献するわけですから、本社に遠慮せず、もっと果敢に自分たちの取り組みをアピールしていってほしいですね。

国と企業は、大胆な政策・施策の転換が求められています。ただ私は基本的に、新しいことは現場からしか起きないと考えています。現場を持たない・知らない国の官僚よりも、現場を持っている企業側こそが、率先して、先例にしばられない、新しい形の障害者雇用に挑戦していけるはずだと大いに期待しています。