精神障害のある社員が多くはたらく当社では、日々さまざまなことが起きています。社員の悩みや課題に向き合う、「田町のジョブコーチ」が障害者雇用の日常、また、課題にどう向き合っているか紹介します。47回目は個人的体験に基づく、安心感が得られる距離感について。

不安神経症を発症。友人たちの距離感に安心感を覚え、回復に向かえた

こんにちは。田町のジョブコーチです。今回は第40回でも少し触れた「距離感」について、また書こうと思います。前回は定着支援担当としての距離感の取り方の難しさについて触れました。今回は自分の実体験から「どんな距離の取り方が安心したか」を振り返りたいと思います。毎度のことではございますが、あくまでも個人的体験なので、「正解」とは思わないでください。少しでも参考になれば、幸いでございます。

いまから10年ほど前、私が「不安神経症」と診断された話は何回か書いています。
ある年の3月に移住先の沖縄で発症し、6月に会社を辞めて九州の実家に帰り静養。9月に上京し、一人暮らしをしながら都内でフリーライターとして仕事を再開しました。我ながら、なかなか早い復帰だったと思います。
なぜ、比較的早い時期に復帰ができたのか。ひとつは症状が軽かったこともあるでしょう(服薬期間は約5年)。しかし、それよりも確実でもうひとつの大きな要因は、周囲の人々に恵まれたからだと思っています。私のことを心配しながらも、一挙手一投足まで気に掛けるわけでもなく、心配してもそのことはほとんど言葉にせずに、これまで通りに接してくれたみんなの距離感に、なんだか安心感を覚え、「いまのままでもいいのかもしれないな」と切羽詰まった心に余裕ができたことで、回復に向かえたのだと思っています。
発症当時は移住先の沖縄でブログを書いていました。旧友たちへの近況報告と好きな沖縄について。ところが、そのブログは発症直後から「闘病日記」のような内容に様変わりしました。それを見た、東京の友人が「●●(私の名前)がヤバイ!」と速攻、飛行機で飛んできました。うちに泊まったその晩ですが、特に私のことを心配するわけでもなく「せっかく沖縄に来たので旨い沖縄そばを食べたい」「普天間基地を見学したい」「世界遺産を回りたい」と自分のやりたいことを連呼。その友人は車の運転が苦手なので当時発症後寝たきりに近い私が運転手として沖縄本島中を走り回りました。いま思えば「家の中にいるよりも外に出ようぜ」という友人なりの気遣いだったのでしょう(違うかな)。すんごい疲れましたが……。

大事にしているのは「相手にとってできるだけ最適な距離感で接する」こと

静養のために実家に帰った時も「あそこにラーメン食べに行くか」「フットサルやるから来い」「飲んでいるからいまから出てこい」などと家族や友人がとても自然な形で(と私が感じるように)接してくれました。あんまり覚えてないのですが「大丈夫か?」「早めに休めよ」「何かあったらすぐに相談するように」「ちゃんと通院しなさい」みたいなことは言われずに、私自身が動き出すのをそっと待っていてくれたような、もしくはちょっと遠くから観察するような距離感でした。その距離感は上京したあとの友人・知人も同様で、そのおかげか、焦らず、急がず自分のペースで「回復」できたような気がします。きっとこれは周囲の人々が私のことをよく知っているからこそ取ってくれた距離感なのだと思います。「こいつには、これくらいの接し方がいいはずだ」と。

先にも書きましたが、これはあくまでも私の個人的感覚。もっと寄り添ってほしい人もいるでしょうし、逆に静かに一人っきりにしてほしい人もいるでしょう。いずれにせよ、当時の周囲の人々が私に取ってくれた距離感は私にとって、とても安心できるものでした。そんな経験があるものですから、私の支援におけるスタンスは「まずその人と話してみて、関係性を築いて、その人にとってできるだけ最適な距離感で接する」です。ひょっとしたら専門家からは「ちょっと違うな」と言われるかもしれません。そんな自分のスタンスを大切にしながらも、自分のやり方で押し通すのではなく、さまざまな意見と当事者の声に耳を傾けながら、より目の前の人が安心できる存在になれるように、自分が受けた恩を返していきたいと思います。